リーダーシップについて その3

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人生の問題集

人は、魂を成長させていくために輪廻転生を繰り返して、何度もこの世に生を受けているという教えがあり、その中で
「目の前に起こっている現実は、生まれてくる前に自分自身がシナリオを描いて決めてきたストーリーである」と言われています。

目の前の問題は、自分の魂を成長させていくための人生の問題集なのです。
学生時代に数学の力をつけようと思えば、数学の問題集を解いていきます。
簡単な問題ばかりを解いていても実力はつきません。
難しすぎる問題ではできないと思って諦めてしまいます。

人生においては、「その人に解決できる問題しか起きないようになっている」と信じれるか信じれないかで成長の速度が違ってくるのではないかと感じます。
「必ずこの問題は解ける」と思って向き合うのと、「たぶん解けないだろう」と思いながらその問題と向き合うのとでは、出てくる知恵が違ってきます。

「解ける」と信じればどうやって解けるかに知恵が向かいますが、「解けない」と思えば解けない言い訳を考えるようになってきます。
そうはいっても「必ず解ける」と思うのか「解けない気がする」と思うのかは、それまでの成功体験の違いのような気がします。

解けないまでも「解ける」と信じて向き合うことを繰り返していれば、いつかは解けるようになってきます。
すぐに「解けない!!」と諦める習慣がついてしまうと、もう少し頑張れば解ける問題も、「今回も解けなかった」という悪循環が習慣になってしまいます。

数学の問題も人生の問題も簡単にあきらめていたのでは、明日につながらないでしょう。
「解けないかも??」という不安が湧き上がってきたときに、この問題は自分が生まれる前に自分で設定した問題やシナリオだと信じることで勇気が湧いてくるのではないでしょうか?

「この問題は自分には解けない」とギブアップするのは、解けると思ってその問題を出した自分を否定することにつながります。

その問題を出したのが自分なのか神様なのかは分かりませんが、いずれにしてもその問題はあなたを困らせるために起きていると受け取るのか、愛をもって貴方を成長させてくれるために出現したと受け取るかで、向き合い方が違ってくるような気がします。

魂を成長させるために輪廻転生があるとすれば、今世では「あなたはどのレベルの問題集まで解くことができましたか?
と言うことを人生から問われているような気がします。

イノベーション

歯科医院を経営していて、30人以上の社員がいますと、出ていく経費も当然多くなってきます。
良いサービスを行っていくためには、いい人材の確保は不可欠になってきます。
良い人材は欲しいが、少数精鋭で社員数は極力抑えないと今のような厳しい時代の経営は難しいです。

こういう厳しい経済の状況下においては、ライバルは周りの歯科医院ではなく、患者様の期待に添う努力がライバルになってきます。
他社との「競争から、自社での「精進が生き残る道になってきます。

「周りが行っているからする」というのでは、今の規模では経営的に追いつきません。
当クリニックがありふれた歯科医院なら、わざわざ多くの歯科医院の中から選んで来ていただけないからです。

常に「周りがやっていないからスタートする。」
というスタンスで、業界に先んじて何かを行っていかなければ生き残っていけません。
よく言う、イノベーションというのは、周りに先駆けて行っていくものですが、そのヒントはお客様が持ってきてくれます。

歯科医院でいえば、患者様が望まれていて、「そんなことできないよ~」ということを行っていくことがイノベーションにつながってきます。
「業界の常識、お客様の非常識」をお互いの常識に変えていくことがイノベーションにつながります。

「言うは易し、行うは難し」
できないことをできるようにしていくことが経営者、トップの仕事ですから、患者様のお声に真摯に耳を傾けていくところに、新しいヒントがあると信じています。

患者様やスタッフがクリニックのレベルを上げていくためのヒントを持っていても、トップがその言葉や言動を簡単に見落としていたのでは、何も改善していきません。
そのためには、人間的に謙虚にプラス思考で生きていかなければいけないと思って精進したいと思っています。

イノベーションについて(Wikipediaより)

物事の「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。
新しい技術の発明だけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革である。

つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す。

教える VS 気づかせる

社員教育と子育てをしていて感じることは、教育とは「教える」ことではなく「気づかせる」ことだということです。

社員にしても子供にしても、自分は当たり前にできるやり方や考え方ができない時に、「あーすればいい」「こーすればいい」と教えることは簡単ですが、表面的なことは教えることができても、深い部分では自分で気づかなければ、将来的には使い物にはなりません。

「あーしなさい」「こーしなさい」で解決するレベルのことはそれで問題ありませんが、命令するだけでは相手が理解できないとか従わない時には、相手に気づかせる工夫をしていかなければなりません。
教育とは、相手にいやいや行動させることではなく、自ら行動したくなる気持ちにさせることであり、どうやって相手の心を動かせるかだと思います。

「教える」ことは自分の知識を相手に伝えればいいので知識でできます。
しかし「気づかせる」ためには、相手の気持ちにならなければどうやって伝えていけば気持ちが動くかが想像できません。
「教える」ことは自分目線でできますが、「気づかせる」ことは相手目線でないと不可能です。

頭のいい人は「教えること」は得意かもしれません。
しかし、「気づかせる」ことができる人は、相手のことを思いやる気持ちがなければ気づかせることは難しいです。

子育てにおいても、大人の視点からすれば、大人よりも未熟な子供に教えることは簡単です。
大人だって、いろんな失敗を経てから気づいたことを、結論だけを子供に教えようとして子供から反発を食らいます。

一般的に親になると、自分の子供は可愛いから、失敗させないで結論だけを学ばせようとしますが、そんなことは不可能なのです。
「かわいい子には旅をさせろ」という諺がありますが、親はついつい「転ばぬ先の杖」で子供に転ばないように転ばないように教育しようとしますが、転ばなければ気づかないことの方がほとんどなのです。

親や上司ができることは、転ばないようにすることではなく、転んでもそのあとに勇気づけてあげる準備をすることなのではないでしょうか。
転ぶかもしれないけど、ちゃんと見守っているから、転んでもいいから思い切って挑戦しなさいという気持ちが大切なのではないかと思います。

もちろん、転んでかすり傷で済むのか、骨折するのか、取り返しのつかない事故になるのかやってみなければわからない部分もあります。
教育する方も胆力が試されるのです。

子供が誘拐されて、「警察に言ったら子供を殺すからな!!」と犯人から脅迫されて、警察に言わないほうが子供の生存率が高いと思うのか、警察に告げた方が、生存率が高いと思うのかはその親の判断になりますが、親として結果にとらわれるのではなく、覚悟を決めていずれかを選択するしかありません。

子供にとって大切なことは、目先のケガではないはずです。
社会に出て強く生きていくために、今をどう生きていくかという事なのです。
あくまで社会に適応できる人間にしていくことが目的なのです。

この歳になって思うのは、優しかった先生や先輩よりも厳しくしてくれた先生や先輩の方が記憶に残っているし、自分の今につながっているということです。
親は「転ばぬ先の杖」を目指すのか、覚悟を決めて「かわいい子に旅をさせるのか」の胆力が試されているのではないかと思います。

教育とは「いま」のためにするものなのか、「未来」を見据えてするものなのかは、常に意識しておかないと目先の結果に流されてしまうのが人間の弱さなのだと思います。

強制 VS 気付き

人は他人から強制されると反発するものです。
人を変えようとすれば必ず反発されます。
当クリニックには30人以上の社員がいますが、私の中で、こうなって欲しいという願望はあります。
しかし、スタッフを変えようとすれば必ず反発されます。

私は結婚していますので、妻や子供と生活しています。
家族とはいえ自分以外の他人と生活していれば「あーして欲しい、こうして欲しい」ということは当然あります。
子供でさえ反発するのですから、大人の反発心は子供の比ではないでしょう。

妻とのことなら自分が我慢すれば解決する問題であれば、相手を変えようとするよりは自分が我慢して波風を立てないようにしています。
相手を変えようとすれば反発されるだけなので、意識的に必要最小限しか言わないようにしています。

しかし、子供には将来自立させるために親として言わなければいけないことがあります。
いくら子供とはいえ「人は他人から強制されると反発する」という人間の性質は変えられませんので、できる事なら自分で気づかせたいと思っています。(現実的にはほとんどの事が強制になってしまいますが……)

社員にしても、上から目線で命令されれば、素直に受け入れられないことも多くでて来るので、できるだけ自分で気づいてもらいたいという気持ちでミーティングを行っています。
強制されたことは相手のために嫌々してあげている行動になりますが、自分で気づいたことは自分のための行動になります。

勉強も同じです。
強制されてしている勉強は、身に付きませんが、自分の意志でする勉強は自分のスキルになってきます。
本人は気付かせようとしているつもりでも、相手には強制されているように受け取られることもあるでしょう。それは、相手との信頼関係がポイントになってきます。

信頼関係がない人間に何を言っても強制になります。
信頼関係ができていれば、多少の強制的な言い方もいい方に受け止めてくれて、何かに気付いてくれることもあります。

尊敬できる人の言うことなら聞く耳を持てますが、軽蔑している人からどんな立派なことを聞いても受け入れることはできません。
相手に何かを言う時には、相手との信頼関係を考慮して言い方や、言う内容を考えないと「ぬかに釘、馬の耳に念仏」になってしまうでしょう。

理想的には、社員や子供に対に対して、強制ではなく、たくさん気づいてもらうための一番の近道は、尊敬してもらえる関係になることだと思います。

変わりたいけど変われない!

自分の経験や社員教育などを通じて感じることは、成長したい、自分を変えたいなど、「今の自分のままでいることを良しとしていない」願望があるということです。
しかし、自分を変えたい、現状を変えたい、という思いがあると同時に、自分を変えることは苦痛を伴う、という事実が待っています。

何十年間、今の自分と付き合ってきている以上、自分を変える意見に対して「ハイ、そうですね!」と素直に言える人は相当人間のできている人だと思います。
人は自分では変わりたいけど、他人から変わることを強要されることを否定する本能が働きます。

「自分を変える」ということは、日常の自分の考え方や受け止め方や先入観を変えていくということだと思います。
今の自分がいるのは、数十年今の考え方によって出来上がっている先入観を、もしも急に違う考え方になったとすれば、それは大変なストレスを感じることになります。

何十年も日本で生まれ育った人がアメリカで生活していくだけでも大きなストレスになっていくものですが、それが文明の未発達な国で生活していかないといけなくなれば、それは「生きていく」という最低限のことが大変なことになってきます。

人間は自分の先入観を「変えたい」と思う気持ちと「変えたくない」という気持ちが常に葛藤している生き物なんだと思います。
「変わりたい」気持ちが「変えたくない」気持ちに勝つためには、変わらざるをえない状況に自分を追い込むことが一番だと思っています。

先ほどの、未発達な国で生き延びていくためには、日本で生きてきた経験を活かしつつも、現実に適応した生き方で、自分の先入観を変えていくしかありません。
ダイエットをする一番簡単な方法は、食べ物の少ない国で生きていくことだと思いますが、現実にはそんなことはできません。

日本にいながらダイエットするためには、ダイエットで得られるメリットが本当に自分の心を動かすだけの価値のあるものなのかどうかという点と、人は「大変なことをしている」という認識でいると、意志の力が感情の力に負けてしまうので、食事を減らしていくことを習慣レベルにまで落としていくことが大切かと思います。

歯科関係者の多くは、毎日デンタルフロスを使用していますが、それを大変なことだとは思っていません。
しかし、一般の患者さんにからすれば、毎日フロスを使用するということはすごく意志の必要な行動だと思われています。

習慣になっている人にとっては普通のことが、意志の力で頑張っている人は、いつかは感情の力に負けてしまうのではないでしょうか?
スタートは意志の力でもいいので、習慣になるまで継続することが出来れば、あとはそのまま継続していくことはそんなに難しいことではないのです。

変わりたいけど変われないキーワードは、「習慣」にできるかどうかだと思います。
「習慣」になるまで続けていければ、いつかは変われますし、「習慣」になるまで続かないのは、それほど自分の心が動いていないことなのかもしれません。

命令よりも「何のために??」

歯科医院の院長として23年が過ぎました。
経営者として、一番勉強になったのが人の使い方のような気がします。
多くの人にとって、経営とは、「お金を稼ぐこと」のようなイメージがあるのではないかと思いますが、私の中では、経営とは「人を育てること」というイメージの方が強いです。

「企業は人が全て」と言われていますが、経営者1人ができることはたかが知れています。
学生時代は、学業で優秀なことが最大の評価の基準でした。
それも、周りよりも優秀であればあるほど高評価の対象になりました。
いわゆる偏差値が高いということにつながります。

しかし、経営者になって自分だけが優秀になって、社員とのレベルが開けば開くほど、社員が駄目な人間に見えてくるし、社員からすれば、トップの言っていることが「意味わかんない!!」となってしまいます。

大人と子供をイメージしてもらえれば、すぐにわかると思いますが、大人からすれば当たり前であり常識的なことを子供たちは、できないことが殆どです。
そんな時に、多くの大人は「あれしろ、これしろ!!」と命令します。
「命令することと教育することは違う」ということを、私は経営者としての社員教育から学びました。

開業して長い間、私にとっては当たり前で常識なことを行わない社員に命令し続けました。
そして、そうしていくうちに私と社員の距離はどんどん開いていき、そこに信頼関係は希薄になっていき、その結果、社員から見た私は、「自分のやりたくないことを命令して無理やりやらそうとする嫌な奴」になり、私から見た社員は「何度言っても分からないし、言ったように行わない、ダメ社員」という社員と私は敵同士という関係になってきました。

命令すればするほど関係は悪化して、お互いの関係が悪くなって何も改善しないのであれば、見てみないふりをするようになってきました。
そうすると、お互いの衝突は避けられますが、私のストレスは日に日に溜まってきますし、社員はわがままになってきます。

命令しても反発されるし、見てみない振りをしても状況は悪化して、私の中では四面楚歌の気持ちで、社員教育の本を読んだりセミナーに出まくりました。
そうしているうちに、自分自身の子供時代や社員時代のことを振り返って自分を俯瞰するようになっていました。

自分の子供時代に、今当たり前のようにできていることができるようになったのは、親から命令されたからではなく、自分自身で気づいたからだし、社員時代にできなかったことができるようになったのも、無理やりさせられたのではなく、自分の意志でできるようになりたいと思ったからだと思い出しました。

当クリニックでは、入社2,3年目以降の社員には、教育係を担当させます。
そうすると、自分が指導係になると新人に頭ごなしに「あれしろ、これしろ!」「なんでできないの?!」という上から目線になり、自分の言ったとおりにできない新人にイライラしてきます。

そして、彼女らも私が通ってきた道を繰り返し、命令と失望を繰り返していきます。
そして必ず、「教育は難しい」「指導係はしたくない」という後ろ向きな方向に流れて、「他人に指導するよりもプレーヤーとして自分の技術の向上だけに集中したい」という考え方に流れてきます。

そんな時、私は、「あなたもいつかは母親になるよね。母親になるまで、指導として命令だけを繰り返して、自分の子供にも同じことを繰り返していくのか。教育者として指導者として未熟なまま母親になって、自分の子供を初めての実験台にするつもりか!?」ということを説明して、教育や指導は今だけのことではなく、今後、人と接していくうちで避けては通れないものだということを理解してもらうようにしています。

大人でも子供でも、相手がこちらの命令に従わないのは、その意味と価値を気づいていないか、やらされていると感じているからだ。
伝える方は、命令ではなくその行為の「意味と価値」を伝えているだろうか??
あるいは、無理やりやらすのではなく、自分の意志でやりたい、やらないといけない、と気づかせる工夫をしているだろうか?と自分に矢印を向けていくことが大切なのではないかと思います。

教育とは、自分が当たり前にできることを上から目線で相手に押し付けることではなくて、自分にとって当たり前のことなのに相手はなぜしないのだろうか?そもそもこの行為の意味と価値は何なのだろうか?ということを再考するチャンスなのだと思います。

教育や指導は簡単ではありません。時間もかかります。
しかし、教育以上にやりがいのあることは少ないのではないかと感じる今日この頃です。

マンネリ化対策

私の毎日のテーマは日によって変わってきますが、1年間を通じて一番多いテーマがマンネリ化対策ではないかと思っています。
仕事において、家庭において、生き方において……いろんなことにおいて、私にとってマンネリ化は永遠のテーマのように思っています。

人間の生き方には2種類の生き方があると思っています。
1つは人間の本能のままに生きていく生き方、もう一つは物事に意味と価値を見つけながら生きていく生き方です。

本能のままに生きていくと、人間は怠け者だし、自分勝手な生き方になってきます。
そうすると、「楽していい思いがしたい」という、快楽を追求した生き方になってしまいます。
恥ずかしながら、若い時には、このような快楽を求めて、ただなんとなく生きてきました。

そうして生きて来て、もっと楽しいことはないか、もっと楽に生きれないか、などを期待しながら………そんなうまい話はないので、不平不満を言いながら生きていました。
そうして生きていると、常にマンネリ化と向き合うことになり、退屈というさらなる苦悩と直面しながら、「生きていくってしんどいな~」とまたしても不平不満を言うようになっていました。

そういうことを繰り返していくうちに、「何のために?」ということを真剣に考えながら生きていくようになっていました。
「自分は何のために生きているのか?」
「自分は何のために仕事しているのか?」
「自分は何のために頑張っているのか?」

これらの意味と価値を真剣に考えていくうちに、「自分のための○×」という理由では、どうしてもマンネリ化から抜け出せない事に気が付きました。
「自分以外の人のための○×」という理由を考え出していくうちに、少しづつマンネリ化からの脱出方法が見えてきました。

今もって、マンネリ化が自分のテーマであるのは、少しでも何となく流されながら生きていると、また「自分のための○×」という理由に偏ってきてしまいます。
神様は、「自分のことだけ考えて生きていたら、幸せにはさせませんよ」と言っているような気がします。

逆に言えば、「自分以外の人のことを尊重して生きれば幸せにしてあげますよ」と言ってくれているようにも感じます。
仕事に人生にマンネリ化を感じた時には、自分の生き方を見直しなさい、反省しなさいと神様が言ってくれているような気がします。

マンネリ化しない人生こそが私の理想の人生だと思っています。
以前は、そんな人生ありえないと思っていましたが、今は自分の心がけ次第で十分可能な事だと思っています。

トップの孤独

「経営者は孤独なものだ」と言われています。
「社長(No1)と副社長(No2)の考え方違いは、副社長と平社員の考え方の違いよりも何倍も大きい」と言われています。

会社が大きくなればなるほど、会社に対して、社員に対して、社会に対して、トップの責任は重くなってきます。
責任が重くなっていけばいくほど、トップも成長せざるを得なくなり、結果的に成長していくことでしょう。逆にトップが成長しなければ、会社は小さくなっていき、いつかは倒産してしまいます。

トップが成長していけばいくほど、周りの人との差は大きくなってしまいます。
トップの考えていることはトップにしか理解できないことも多いでしょう。
それでもトップは成長していかなければいけないし、前進していかなければなりません。

トップの成長スピードと社員の成長スピードが同じでは、その会社は自然淘汰されてしまうでしょう。
トップは成長しながら、社員も成長させていって、両者間の開きをできるだけ少なくしていく努力をしていかなければならないのだと思います。

それでもトップとは、「孤独」に向かって走っているところがあるのかもしれません。
私は、日本のリーダーとして安部総理を応援していますが、安部総理の考えていることは、安部総理にしかわからないのかもしれません。

週刊誌などは安部総理に対して好き放題勝手なことを書いていますが、人を認める事よりも批判する方が簡単だし雑誌も売れるのだと思います。

彼の判断で日本の未来が決まってしまう以上、どういう決断をするにしてもすごいプレッシャーなのだと思います。どちらを選んでも味方半分、敵半分で、周りから批判されることは避けられないのですから、総理大臣なんて理念や使命感がなければ続けられる仕事ではないかと思います。

トップになればなるほど、孤独になってくると言われていますが、そもそも「孤独」とは何を意味するのでしょうか?
「責任感」の違いや「背負っているもの」の違い、「見えている世界」「未来に対する予測力」の違いなどがあるのではないでしょうか?

人は誰しも、「成長したい」「見えていないものを見てみたい」「未来を予測できる人間になりたい」などの欲求があるのではないでしょうか?

そう思うと、「成長していく」ためには、多くのものを背負って責任を重くしていくしかないし、「見えていないものを見てみたい」のであれば、昨日までの自分でできなかったことに挑戦し続けるしかないし、「未来を予測できる人間になっていく」ためには多くの失敗を受け入れるしかないのであるから、自分が望んで「孤独」に向かっているのだから、「経営者は孤独なものだ」と不平不満を言うのは筋違いなのだと思います。

有名になりたくて芸能人になったのであれば、みんなが自分のことを知っていてプライバシーがないと言って文句を言うのと同じなのかもしれません。
自分が望んで入った世界なのだし、何かを得れば何かを失うのが世の常なのだから、得たものにフォーカスするのか失ったものにフォーカスするのかで、幸せにも不幸にもなっていくのだと思います。

経営者は、孤独以上のやりがいや思いを感じられなければ、自分で成長をストップしかねないのかもしれません。
私レベルにおいてさえも、自分が成長していくにつれて、しんどさと比例するように生きがいややりがいがアップすることは体感しています。
もっと成長したいということは、もっとしんどい人生にしたい、ということと同意語のような気がします。

試練があるから人は成長するように、孤独を乗り越える理由がたくさんある人だけが、さらに先を目指す資格を得られるのかもしれないです。
孤独を受け入れて、孤独に向かって成長していくためには、自分にとっての孤独以上に魅力的な理由がはっきりさせなければいけないな、と感じる今日この頃です。

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