リーダーシップについて その4

与え続ける

人の価値観として「損か得か?」という判断基準があることは否定できないのではないだろうか?
誰しも損をすることが分かっていて、それに向かい合うことはできないように思います。

「損して得取れ」「海老で鯛を釣る」という諺もありますが、最終的に得することが分かっているのであれば、あえて一時的に損をすることも受け入れられますが、初めから損をすることが分かっていたら、誰もその行為には手を出さないような気がします。

しかし、「人間万事塞翁が馬」ということわざもある通り、一見すると損をしているように感じたことが振り返ってみれば大きな得であることも少なくありません。
人間は欲深い生き物なので、初めから得することが見えていることには、あっという間に多くの人が群がり、ぺんぺん草もないぐらいにきれいに刈り取られてしまいます(笑)

しかしながら、そんなことをしても意味がないとか、絶対に損だと思えることには誰も興味をしましません。
イエローハットの創設者の鍵山秀三郎さんは、社員の心が荒れているのを少しでも改善したいという思いでトイレ掃除に精進するようになりましたが、そんなことをしても無駄だし、そんな会社は潰れると噂されるようになりましたが、トイレ掃除を続けていくうちに1部上場企業まで発展していかれました。

カルロスゴーンさんは、日産の経営を任されたときに多くの社員と面談を繰り返し、日産の問題点を探し出したと言われています。
経営のトップが、多くの社員と面談を繰り返すには膨大な時間と労力が必要です。
そんなことをしても時間の無駄だ、もっと楽で有効な手法があるはずだ、という意見があったことと思います。

そんな意見に惑わされないで、一見意味がない、効率が悪いと思えることを続けることができる人とそうでない人の違いは何なのかと考えると、信念や使命感などの違いではないかと思います。

Give&takeという言葉がありますが、恋愛と仕事においてはgive&givenと思って向き合え、と教えられたことがありますが、見返り(take)を期待していたらショックで継続できなくなってしまうのだと思います。子育ても同じですね……

人間関係において、自分の得することしか考えなくて、相手を利用しようと考えている人もいますが、例えそういう人間だと気づかないで裏切られたとしても、人間不信になって後ろ向きな言動になるのではなく、ズルい人もいれば、そうでない人もいるということを冷静に判断して、やはり自分のいいと思う事を与え続けていかなければ、いい人間関係は構築できないのではないかと思います。

確かに、自分の得することだけを考える人もいますが、そうでない人もいます。
Takeを期待するのではなくいつの日かgivenしてくれる人がいると信じて与え続けていくことがトップの心がけだと思います。

自分が得することだけを考えているズルい人間には損だと思えることも、使命感や責任感の強い人には、損得を超えた意味と価値が見えてくるのではないかと思います。

ひと昔前なら、自分だけ得したい、という動機でもいい思いをできた時代があったように思いますが、今の時代は、社会に役立つことをしたい、誰かに喜ばれたい、という気持ちがなければ、誰も応援してくれない時代になってきているように感じます。

与え続ける人間にしか見えない世界があるのだと思います。
これからも経営者を続けていくのであれば、いつかはそんな景色を見てみたいと思います。

大変なこと vs 当たり前のこと

私は、人間は自分なりの「頑張る理由」がなければ、継続的には頑張れない生き物ではないかと思っています。
意志の力だけで自分をコントとロールすることは、簡単ではないのではないでしょうか。
そう思うと一番影響を受けやすいのは周りからの「環境の力」ではないかと思っています。
「今自分は頑張っているんだ!」という思いは、なかなか継続しにくいものです。

一方、「自分は普通のことをしているだけだ!」と思う事は簡単に継続できます。
例えば、歯科関係者の多くは、当たり前のようにデンタルフロスを使用しています。
歯科関係者にとって、フロスを使用することは「大変なこと」ではなく「当たり前のこと」だから、頑張っているのではなく、歯ブラシをすることの延長線上にあるレベルのことなのだ。

プロ野球の選手が1日に何万回も素振りをする姿を見て、周りの人は「頑張っているな~」と感心しても、プロ野球の選手を目指す人にとっては、それぐらいの当たり前のことをしている行為を「頑張っている!」と思うような人はプロの選手にはなれないのです。

経営者になれば、24時間仕事のことを考えているのは「当たり前」のことですが、サラリーマンでオンとオフを使い分けている人からすると、24時間仕事のことを考えるなんて「大変だね!」と感じられるみたいです。(笑)

自分のしていることを「大変なこと」と思うのか「当たり前のこと」と思うのかで、継続できるかどうかが決まってくるように感じます。
自分がすることを「普通のこと」「大したことではない」と感じる一番簡単な方法は、そういう環境に身を置いていくことだと思います。

「類は友を呼ぶ」という諺がありますが、似た者どうしでは、普通や当たり前が多いので、一緒にいて楽なのです。
不平不満が日常の人にとっては、頑張る人と一緒にいると疲れるのです。

逆に、プラス思考の人がマイナス思考の人と話していると普段の何倍も疲れてしまうのです。
クリニックを運営していて、仲間、同僚の存在で、頑張ることが「普通」のクリニックなのか、不平不満を言うことが「普通」のクリニックかで、クリニックの社員レベルが決まってきます。

「悪貨は良貨を駆逐する」という諺がありますが、人というのはいい影響よりも悪い影響の方が何倍も受けやすいものなのです。
前向きな言葉をかけるよりも、不平不満を述べる人の方が影響力があるものなのです。

無意識で生きれば、誰しも不平不満や言い訳をして楽に生きていきたいのを、意識して前向きに生きているのに、安易にマイナスの言動を目にすれば「自分も楽になりたい!!」と流されるのが人間なんだと思います。

だからこそ、社員の中でネガティブな人や不平不満や言い訳が常の人は排除していかなければいけないと思っています。
トップの使命は、その環境にとっての「当たり前のレベル」を上げていくことではないかと思います。

リーダー論

「辛いことや嫌なことが目の前に現れれば、逃げたい、避けたい」と思うのが人間だろう。
この気持ちを否定してはいけないと思う。
この気持ち自体を否定してしまうと、逃げたい気持ちを持っただけで「自分は、なんて弱い人間だろう」という自己否定や自己嫌悪の気持ちが強くなってしまう。

自分を嫌いな人は、他人にやさしくできないのだ。
他人にやさしくできるためにも、自分を好きにならなくてはいけない。
自分を好きになるためには、素敵な自分である必要がある。

「辛いことや嫌なことが目の前に現れれば、逃げたい、避けたい」と思うのが人間の本能だとしても、逃げないで受け止め、向かっていく自分であれば、そんな自分は素敵だと思えるのではないだろうか?
逃げても普通、逃げなかったら、かっこいいだけだ!

人間は動物の一種なのだから、本能的に、嫌なことからは逃げるのが普通だ。
しかし、人間には理性がある。理性で感情を抑えることもできるのだ。
理性が感情に打ち勝った時、そこには自己満足的な達成感が蓄積させる。

1歩自分のことが好きになれる。
「辛いことや嫌なことが目の前に現れれば、逃げたい、避けたい」と思うのが人間の本能だが、逃げないこともできるのだ。

例えば
1.逃げたくても逃げれない状況
2.逃げることでいろんなことを失う状況
3.向かっていくことで沢山ご褒美がある状況
………………………………………………
………………………………………………

何らかの理由で、逃げたいけど逃げなかったら、その後には「勇気」が蓄積される。
その積み重ねで、怖い時にも意識的に向かっていける人間になっていけるような気がしている。

私は、歯科医院におけるリーダーだ。家庭においてのリーダーだ。
社員に私の指示に従ってもらうためには、私は、社員から尊敬されなければいけない。
子供は親の背中を見て育つのだから、子供に尊敬してもらいたい。
尊敬されるためには、社員や家族に、自分の逃げる姿は見せられない。
リーダーとは、逃げたい気持ちがある時も、ドキドキしながらも勇敢に向かっていくべき立場なのだ。

はっきり言って、そんな立場が、しんどい時もある。
でも、その繰り返しで、私は勇気と信頼を手にすることができるのだ。
勇気と信頼は簡単に手に入れることはできない。
いくら本を読んでも実践しなければ、それらを手に入れることはできない。

簡単に手に入らないものを手にするためには、それなりの覚悟が必要なのだ。
「地位は人を育てる」と言うことわざがあるが、リーダーになったからこそ、手にできたものがたくさんある。
私は、素敵なリーダーであり続けたい。

だから、何があっても逃げない自分でありたいと思う。
決して私は、ナルシストではないが(笑)、
最近は、そう思える自分のことが大好きだ。

能力 vs 人格

子供の頃から、自分の価値は、周りよりどれだけ優れているかで判断されてきたように思う。
かけっこで順位が付けられたり、テストでいい点を取ったり、すべての基準は周りとの比較だったのではないだろうか?

かけっこの早いグループで4位のタイムよりも、かけっこの遅いグループでの1位のタイムの方が遅くても、誰がなんと言おうと1位は1位なのだ。
タイムよりもそのグループの中での順位の方が大事なのだ。

平均点が80点のテストで80点を取っても目立たないが、平均点が50点のテストで70点を取る方が目立つのだ。
そんな学生生活を経て、社会人になってからも、自分の評価は周りとの比較だったように感じる。同期の中で自分は優れている方なのか、開業している地域の中で自分のクリニックは高く評価されているのか、等……

日本人に生まれただけで、全世界から見れば幸せなことは間違いないのだが、誰も世界の中の日本人としての評価はしなくて、周りの人間と比較して上流階級、中流階級などの意識を持っているのではないだろうか?
周りと比べて自分がどれだけ優れているかで、優越感を感じたり、劣等感を感じて年月が経っていった。

そういう生活を長く続けてきて、いつしか院長という立場で社員を雇うようになってきた。
今までは、「自分が周りよりも少しでも優秀な人間になる」ということを目標に頑張ってきたような気がするが、社員は院長が優秀かどうかには全く興味がないように感じてきた。

社員を雇ってから社員との衝突を繰り返していくうちに、社員にとっての興味は、院長が優秀かどうかというよりも、院長が人格者かどうかだ、ということに少しずつ気が付いてきた。
これまで、自分の性格や人格が大きく評価される環境にいなかっただけに、急に人格に焦点を当てられても何から手を付けていけばいいのかわからなかった。

多くの個人開業医が壁にぶち当たるのは、この点なのだ。今まで、自分の知識や技術が、周りの歯科医師よりも、少しでも優れているかどうかにだけ焦点を当ててきた人間が、社員に反発されて院長だけが孤立して途方に暮れた時に、これまでの生き方考え方を反省して、自分を変えていける人間だけが、社員もついてきてくれることを悟ったのだ。

このことに気が付かなければ、社員は永遠に院長の敵のままなのだ。
自分の知識やスキルを伸ばすための勉強は、これまでのように、自分のために努力すればいいから簡単だ。
一方、自分を押し殺して、社員のため、世の為人の為に生きていく努力は、戦前と戦後の考え方の違いぐらいに、簡単に生き方や考え方を変えていくことはできないものだ。

しかし、自分のことばかり考えて利己的な生き方をしてきた人間が、他人のことを考えて利他的な人間に変わっていけることは、これまでに感じたことのない喜びがあるのも事実だ。
社員が増えていけばいくほど、自分を監視し評価してくる目が増えていくことはプレッシャーにはなってくるが、プレッシャーがあるからこそ、やせ我慢でも続けていけるような気がする。

習慣とは恐ろしいもので、初めはやせ我慢でしていたことが、いつの間にか本当の習慣になってくるから不思議なものだ。
子供の時に自分の能力を磨く努力をしていくことは決して無駄なことではないと思う。

しかし、年齢を重ねるごとに、能力よりも人格形成に比重を移していく必要があるのは、院長やトップに限らず、人間共通のことではないかと思う今日この頃です。
今自分は、心から人格者になりたいと思って修業に励んでいますが、ゴールがないからこそ、死ぬまでの目標には最適なのかもしれません。

自己肯定感 VS わがまま

私には2人の娘がいますが、子育てにおいて、私が一番重視しているのは「自己肯定感の高い子供」になって欲しい、ということです。
「自己肯定感=誉めること」というイメージを持っている人が多いですが、誉めてばかりいたら、単なるわがままな子供になってしまいます。

未熟な子供には、叱る事も注意することも両方必要で、何をしても誉めていたら、とんでもない自分勝手な子供になってしまいます。

それでは、「自己肯定感を持った子供」にしていくためには何が必要なのだろうか?と考えると、1つ目は子供が「自分は愛されている」と感じられることと、2つ目は「自分はやればできる」という自信を持てる環境にしてあげることではないかと思っています。

1つ目の「自分は愛されている」点に関しては、日々、子供に対して、注意はするし、叱るけど、子供が「自分は愛されている」と感じているかどうかということは、常に意識していかないと、人間関係で一番大切な「信頼関係」が崩れてしまうと、相手が心を閉ざして、聞く耳を持たなくなってしまうので、誉めても叱っても何をしても、相手の心に届かなくなってしまいます。

2つ目の「自分はやればできる」という自信を持たせるためには、子供に壁や問題を与えていくことだと思います。
子供はすぐに「出来ない」「無理」ということを口にします。
「出来ない」「無理」と思えば努力しなくて済むので、「できる理由」を考えるよりも「できない理由」を考えることの方が簡単なのです。

安易な道に流されて生きていけば、日々「できない理由」を考えて生きていくことになってしまいます。
それを阻止するためには、「やればできる」という小さな成功体験を積み重ねて、「無理」と思っていたことができた「達成感」を感じさせて喜びを感じられる環境を提供していってあげることが大切なんだと思います。

親が安易に手を貸してあげるのではなく、ただ見守ることで、子供自身が自分の力で「できた!」と体感する経験を積み重ねていくことで、「自己肯定感」が高まっていくのだと思います。
子供に自己肯定感を持たせるためには、何を置いても、まずは親が自己肯定感を持たなければなりません。
自分が持っていないものを、子供に教育してくことはできないのです。

自分が英語を話せないのに、子供に英語を教えることができないのと同じ原理です。
そのためには、親も上司も自分の為だけでなく、子供の為、部下の為にも、自分の「自己肯定感」を高めていく努力をしていかなければいけないのだと思います。

社員教育においても、上記の「子供」の箇所を「社員」「部下」に入れ替えても考え方は同じことです。
社員に自信を持って仕事をしてもらうためには、自己肯定感の高い社員を育てていいかなければなりません。
社員が、どこまで自己肯定感を持てるかは、上司やトップの自己肯定感に比例してきます。

私の中で、仕事を通じて世の中を良くしていきたいと思っていますが、世の中に自己肯定感の高い人が増えていけば、世の中は必ず良くなっていくと信じています。
子育ては親育てと言われます。部下の教育も、結局は上司が成長していかなければ部下は成長していきません。
自分が成長することで、周りの人間の成長にも好循環をもたらします。

世の中に、「自己肯定感」の高い人を増やすためにも、まずは自分の「自己肯定感」を高めるために、日々、「無理」と思えることに挑戦していく姿勢が大切なんだと思います。

謙虚vsわがまま

先日「先生は成功されているのに謙虚ですね」と言われ返答に困ったことがありました。
「成功されてる」と言われても、何をもって成功と言われているのかわかりませんが、お金だったら私よりもたくさん持っている歯医者は多いので(笑)、多分、クリニックの規模的なことで「成功」と言われているのだろうな~とは感じましたが、「成功している人」=「威張っている」という図式が一般的なのかな~と感じました。

私が、周りの人の目に、「威張っていない、謙虚」に映るとしたら、それは「威張るよりも謙虚でいる方が得だから」と答えるのが私にとっては一番正しいような気がします。
私だって、本音の部分では「威張りたいし、わがままに生きていきたい」「王様みたいに自分勝手に生きたい」と思っています(笑)

しかし、そんな快楽を追求した生き方をしたら、あっという間に不幸せになってしまいます。
威張ったり、わがままにすれば、私の周りの人は嫌な思いをして、私の周りから去っていくか、私を攻撃してきます。
そうなると、一番嫌な思いをするのは自分です。

一時的な快楽のために威張ったり、わがままに生きて、その後、大きな苦労をするぐらいなら、初めから謙虚で周りに気を使いながら生きていく方が絶対に得だと思います。

クリニックが大きくなっていくと、私一人の力では運営できなくなっていきます。
私が威張って、わがままになれば、社員は辞めていくか私に反旗をひるがえしかねません。
そんなことは、絶対に避けなければなりません。
クリニックを人質に取られているようなものなので
私は、謙虚に生きていくしか選択肢はないのです……(笑)

損か得かで考えて、謙虚な方が得だと思っているからそう生きようと決めているだけで、決して私の人格が優れているわけではないのに、そういう理由があるにせよ、謙虚に生きていると周りは褒めてくれます。

「必要は発明の母」「地位が人を育てる」という言葉がありますが、人格的に謙虚になろうと考えると、とてもしんどいことですが、立場的に「謙虚にならなければやっていけない」立場になれば、否が応でも頑張れるものだと思います。

私は、「院長」「経営者」「リーダー」という地位に感謝しています。
もちろんしんどいこともありますが、そういう立場にいるからこそ、意思の力だけではできないことが可能になってくるような気がします。

私にとって「リーダーシップ」を追求していくことは、ライフワークでもあり、生きがいでもあります。
若いときには、能力が評価の対象ですが、人生も後半に入ってくると、能力よりも人格が評価されているのを感じます。

仕事って、人間を成長させてくれる素敵なものだということを社員や子供たちにも伝えていきたいと思っています。

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